【読書/ミステリー】⑤ 軍神の血脈-楠木正成秘伝-を読んで

どうも!レペゼン紀の国トムです!!!!

さて、今回は古代ミステリー・・・ではなく、中世の武神、楠木正成に関わるミステリー!!

実は私、楠木正成の子孫かもしれないのです。代々うちに残る家系図などを調べたら、いろいろ面白いことが!

また、それについては機会があればまとめようと思うのですが・・・

 

それ抜きにしても、数ある武将の中でも私が好きな正成についての謎をまとめていく!!

それについて高田崇史さんの『軍神の血脈-楠木正成秘伝-』のメモです。

軍神の血脈 楠木正成秘伝 講談社文庫/高田崇史(著者) :0018626763:BOOKOFF Online ヤフー店 - 通販 -  Yahoo!ショッピング

 

 

メモ

・『上島家文書』によると観阿弥楠木正成の甥 上島家は服部家の氏族 忍者の家系

・『萬川集海』には正成が48人の忍者を抱えていたこと

・正成の戦いとして赤坂城、千早城の戦は有名 ゲリラ戦

千早城では1000対2百万 兵糧攻め に耐える 山伏の水源、密かな連絡網

・『太平記』は南朝よりだが、後醍醐天皇を批判している。何のために書かれたのか。

・正成の先見の明  尊氏を破った後天皇に進言 義貞をきって尊氏と和睦すべし

・必勝の作戦を却下され、討ち死に覚悟?

湊川の戦い 700騎を率いて数万の尊氏軍と対峙

湊川の戦い 必ず負ける戦に行く謎 ゲリラ戦得意なのに平地で真正面からの謎

・正成の信念 「良将は戦わずして勝つ」からすると湊川はあり得ない戦法

・『梅松論』 尊氏しか正成の顔を知らない 首実検にて「まじきにあるべからず」

・戦場で実際に首をとったとされるには、 伊予国の武士大森彦七

大森彦七 正成に勝った功で、尊氏より讃岐国を与えられる 

年表 1302 誕生

   1336 正成の首をとる

   1342 春、金蓮寺で猿楽。矢取川で正成の怨霊に襲われる。

   1360 砥部町で死去

・『太平記』 彦七が正成の怨霊に悩まされる話が1章分ある。なぜそんなに彦七を恨むのか。

砥部町に 新田五社神社 祭神が新田義貞 彦七が祀ったというが・・・

 彦七が祀るべきは 正成では??

・正成らは一族そろって差し違えたはずだが、彦七はなぜ正成の首しか得なかったのか。

・正成の妻久子の尼号は「敗鏡尼」。正成の死を聞いて供養のため尼になったとされるが、尼になったのが湊川の戦いから12年後。

 

太平記 巻23の大量の怨霊譚は、彦七の供養

・正成は湊川で死んでいなかった。死んだのが彦七。

湊川には山伏連絡網の逃げ道があった。

・首実検で尊氏は「間違いない」と言ったが、どんな仕掛けがあったのやら。

以上

 

楠木正成湊川で戦死していなかった!そう考えるに足るさまざまな根拠が提示され、私も自称!楠木正成の子孫!笑 としては大興奮の内容でした(^o^)

大森彦七さん、初めましての方でしたが、ご愁傷様です。