【読書/ミステリー】② QED出雲神伝説 を読んで

レペゼン紀の国トムです(^o^)!

古代ミステリー探検、QEDシリーズのメモ編!!

今回は、高田崇史さんのQED 出雲神伝説』のメモ書きです!!

 

メモ

スサノオの最初の歌『記紀』・・・『出雲国風土記』では八束水臣津野が詠んだされる

・出雲臣の収容所が山城国出雲郷 出雲から京都に連れてこられただろう 斉明天皇のとき

 国譲りの時に連れてこられたのか、神話の時代からそこにいたのか

出雲大神宮 『丹波国風土記元明天皇のとき 大国主だけ島根の杵築に移す 

       崇神天皇が「出雲神の大社」を再興 これは一般的には出雲大社とされるが・・・

・『出雲国風土記』は国造の出雲臣広島と三宅臣金多利が編纂 地元の人間

風土記にはスサノオの話がほぼ出てこない 八岐大蛇など

・土師氏の祖野見宿禰の話

崇神天皇 天照大神大国主を宮中にまつっていたが、時をみて追い出した

出雲大神宮の中の黒太夫社 先祖神をまつる 本殿より先に詣る

              神社の主祭神が来たことでその土地を明け渡した神 御霊

・奈良の初瀬に出雲がある

出雲国四大神 意宇郡 熊野大神クシミケヌ

            野城大神

        島根郡 佐太大神

        出雲郡 大国主

出雲大社の創建時期 8世紀初頭とする古代研究者が多い

     斉明天皇659年 出雲国造に命じて「神の宮をつくりよそはしむ」とあるからこれを大社とする人

出雲大社は 1031~1072年に3,40年間間隔で5回倒壊している 原因不明

       →朝廷の仕業か

・出雲の移り変わり

 ①古墳時代中期 出雲東部の首長たちによる統合

 ②古墳時代後期 意宇の首長により権力収斂 強大な首長の登場 西部に大首長 物部氏か 中央集権との結びつき

 ③6世紀末   物部氏の没落 西部衰退 意宇郡が蘇我氏を背景に台頭

 ④7世紀    意宇郡は神社の神域とされる

・出雲平野中心部では、古墳時代中期から集落激減 → どこへ行ったのか

石上神宮 出雲武雄を祀る ヤマトタケルに殺される  なぜ出雲武雄を祀る神宮が奈良に

・十二柱神社 野見宿禰五輪塔だけでなく古墳があった ダンノダイラ出雲村の磐座を拝む

下鴨神社境内に出雲井於神社がある 祭神スサノオ

大国主はいろんなところで祀られている 名前もいろいろ

・島根には出雲国以前に地元の人々が大勢住んでいた 古墳中期に集落が消えている 後期に再び栄える

垂仁天皇 野見宿禰当麻蹴速の決闘 野見は1日で移動 → この出雲は奈良のこと

・文字としての「出雲国」の初見・・・鰐淵寺の台座 持統692年 そのころには出雲は朝廷の支配下

 

・『出雲国風土記』にスサノオの話が載っていないのは・・・奈良でおこった出来事だから

・「人々」「出雲臣」「出雲国」「出雲大社」を分けて考えよう

出雲大社: 元出雲 出雲大神宮から島根出雲へ 朝廷により追い出された

・初瀬の出雲の人々の代表はナガスネヒコスサノオに比定される ニギハヤヒの裏切りに合う

 →ニギハヤヒも抹殺され、石上神宮に祀られる

・かつて大和こそが出雲だった 大和神社 日本大国魂大神=大国主

・しかし、文明は島根の出雲を経由して大和に入ってきている 

三輪山 大物主=大国主を祀る 大国主以前に地主神を祀っていた 出雲の神

崇神天皇らが追放した 邪馬台国の人々が追放した = 神武東征

・葛城には賀茂氏の祖が入ってきた 大和王朝VS葛城王朝 出雲臣が虐げられた

・やがて出雲は現在の島根の地へと かつて自分たちの先祖が住んでいた土地 杵築 意宇

・当時の意宇は熊野大社を祀る一大勢力だったが、今度は朝廷の後援を受けた人に追われる

 → 出雲臣大移動の真相では

出雲大社の謎 大国主が横を向いている

        拝殿の正面が大国主とはずれている

        「八雲の図」に描かれている雲は7つ

 

・拝殿は大社の後ろの蘇我社を拝んでいる スサノオ 地主神

・「八雲」は描かれている:7つ+大国主自身が「雲」

熊野大社 熊野大神みけつぬのみこと=スサノオ 出雲大社より格式高い 亀太夫神事

以上

 

「出雲」はかなり奥が深いと感じました。今では島根県の出雲を思い浮かべるが、かつては出雲っていくつか存在した模様。たしかに京都でも奈良でも出雲という地名が残るのは知っているが、特に何も思っていなかった。

記紀神話に登場する出雲は本当に島根県の出雲なのか

情報量が多すぎてややこしい!笑 でもなんかボヤアっと古代の暗号が見えてきた気もする!

面白い!!!!!!!!!!