【読書/ミステリー】⑪ 邪馬台国は隠された

どうも!レペゼン紀の国トムです(^o^)

今回は、あおきててつや氏の邪馬台国は隠された』を取り上げます。

邪馬台国については何十年も前からいろいろ説が出ていて大変。

そんな中、漫画家が描いたこの説、僕はかなりすっきりしていて好きです!!

メモを載せていきます!

 

・266年 いよが晋に朝貢 ~ 413年倭王讃朝貢を開始  147年のミッシングリング

弥生時代の鉄族の分布 北九州に多い 倭国大乱は九州  奈良盆地は鉄器が出土しない

・184年黄巾の乱 後漢の農民の乱 難民ボートピープルの来日

 北九州に上陸したのでは

・2世紀後半 山陰~北陸 出雲国家  吉備 大きな王国  畿内 銅鐸の国にはいたらない邑

 九州の国々は難民の脅威から連合国をつくったのでは

・男王を倭国王に共立したくない 邪馬台国の巫女「ひみこ」

・なぜ魏が邪馬台国のひみこを女王と認定したのか まきむく遺跡 箸墓古墳のようなものない

・まきむく=邪馬台国ではない 

 「一大率」(倭国の窓口)は伊都国(福岡)にある 畿内の遺物が出土しない

 無防備 環濠がない オープン 鉄器も出ない

 「女王国の東、海を渡っていくと別の倭種の国がある」 奈良県海ないやん 地形の記述が違う

   ※昔は奈良盆地は奈良湖だったともいうが

 記紀では4世紀 大和と九州が戦っている 邪馬台国畿内ならとっくに制圧されているのでは

畿内で多くみつかる 三角縁神獣鏡 中国でまったく出土しない 日本産だろう 卑弥呼に送られた鏡ではない

・「その山 丹有り」近くで辰砂がとれる 

・魏の事情 魏は倭国を厚遇している 金印をもらったのは東夷では倭国のみ 西戎では大月氏クシャーナ朝)も

 229年 魏の曹真が大月氏に金印 蜀へのプレッシャー

 238年 倭国に金印 呉へのプレッシャー

 倭国を大きく遠く見せる=皇帝の権威の誇示 倭人伝の人口規模や距離はバイアスがかかっている

邪馬台国の方角 45度の修正説

 対馬海流の影響 世界最速レベル 朝鮮半島南「狗奴韓国」から真南のつもり→南東

 日の出の方向 日が出る方向=東 → 夏至の頃だと実際はもっと北よりから日が昇る

・「到る」と「至る」 前者が使われているのは狗奴韓国と伊都国のみ  邪馬台国は後者

 前者は到着の意味では

邪馬台国の特定 宇佐・中津あたり

宇佐神宮 ヒメ大神 正体不明 2礼4拍手 神託事件の舞台

 ヒメ大神は邪馬台国連合の女王だったのでは 大和政権に敗北

 出雲も一緒 2礼4拍手 

 大和朝廷が出雲と邪馬台国連合を平定 丁寧に祀ったのでは

卑弥呼の墓=宇佐神宮の真下 120m×160mほどの円墳

 

邪馬台国が北九州なら奈良盆地の政権は何なのか

・BC180 前漢 楽浪郡設置 中国から九州に鉄器など流入

・57年 奴国が漢委奴国王の金印をもらう

・107年 倭王帥升ら漢の安帝に奴隷を送る 帥升はのちの伊都国の王という

・2世紀後半 倭国大乱 卑弥呼を共立 

 朝鮮半島では三韓   公孫氏が帯方郡を置く

・220後漢滅亡 三国時代へ 卑弥呼は静観   

・238年魏が蜀を倒す 公孫氏も降伏

・239年 卑弥呼はなしめらを魏に派遣  239~266年間に数回魏に朝貢 魏からも使者 交易国家に発展

・3世紀 卑弥呼、魏へ助けを求める 「南の狗奴国から攻撃されている」

 狗奴国=熊襲の国

・247年 皆既日食 卑弥呼の死 大混乱 男王

・265年 魏が滅亡 邪馬台国にとって大きな痛手

・266年 女王イヨ、晋に朝貢

・晋は国内外が安定せず  邪馬台国にとってはもどかしい

朝鮮半島高句麗出現 312年楽浪郡帯方郡滅亡 百済新羅誕生 邪馬台国にとっては脅威

 北からは高句麗 南は狗奴国

・316年 晋滅亡

 

畿内の様子

・青銅器文化 銅鐸の民 銅鐸は魏志倭人伝にも記紀にも登場しない

 紀元前2世紀~2世紀ころまで製造

畿内には鉄が伝わっていない 青銅器で五穀豊穣の祈願

・2世紀末高い農耕技術をもった民族が西から流入 治水工事 鉄の民

奈良盆地は大湿地帯 水田するにはもってこい

・人口が増えまきむくなどが作られる 都会に

・日本最初の前方後円墳

 箸墓古墳 240~260年ころ  

 まきむく遺跡は3世紀初頭~半ばに

 まきむくから出土の土器の出身 伊勢・東海、北陸・山陰、河内など いずれも銅鐸の民

 銅鐸の民が銅鐸を捨て、力を合わせてヤマトの政治のために都市をつくった

・新しい祭祀国家 銅鏡を使い太陽神を崇拝する

・銅鐸の民をまとめた人物=ニギハヤヒ 物部氏氏神

・吉備王朝・出雲王朝・九州勢力の一部が合流 新天地の奈良湿地に連合政権を立てたのでは

・吉備に双方中円墳 2世紀中頃  弧帯石→数十年後箸墓で発見

・出雲 ミワ氏 カモ氏 銅鐸工人族 まきむくに関与

・九州勢力もヤマト入りした

 

日本という国家の建設

邪馬台国東遷説 3世紀北九州の邪馬台国はやがて瀬戸内海に勢力を広げ、畿内も勢力範囲に。4世紀に本拠地を九州から大和へ移し、ヤマト政権の基礎を作った。神武東征はその時の記憶を記紀に残した。

・266年まで倭人伝に邪馬台国の状態が具に記録されており移動した様子はない。

・ヤマトでは遅くとも200~220年頃には初期前方後円墳が作られ新たな国家建設が始まっている

イワレビコ=日向の王 福岡県朝倉・夜須あたりにイワレビコの国があったのでは

 福岡県朝倉夜須地方と奈良県大和地方に共通の地名

 →神武一族が夜須地方から大和地方に移住したのでは

・福岡県夜須地方に平塚川添遺跡 吉野ヶ里以上の環濠集落 鉄器が見つからない

記紀の神武東遷

日向→宇佐→筑前岡田宮1年間→安芸多家理宮7年間→吉備高島宮8年間→大和へ

吉備との連合だったのでは しかし記紀には九州勢のみとりあげた 九州勢力がのちの天皇家母体となったから

・いつ移動を開始したか 2世紀末では

 楯突遺跡双方中円墳2世紀中~後半、まきむく初期古墳3世紀初頭

・2世紀末 倭国大乱(178~184年頃)、狗奴国との交戦 

 宇佐の邪馬台国卑弥呼は魏に使いを

 筑紫のイワレビコは九州を去り新天地へ  兄2人は大乱で亡くしている

ニギハヤヒが恭順する件=吉備の文化を取り込んだ  ニギハヤヒ物部氏=吉備

 

崇神天皇の改革

・巫女による神権政治をやめた 巫女から男の神官による祭事へ

・神を崇拝する側から天皇が神になって政治をする形態へ  現在に続く統治のはじめ ハツクニシラススメラ命

 

・大和政権と吉備政権のタッグ 大和や吉備の巨大古墳

・5世紀 吉備の反乱あたりから溝が

・大和政権の中枢にいた物部氏 527年磐井の乱で弱体化 蘇我氏との戦で負け

・出雲は大和と仲良くない 東部安来地方では前方後円墳をつくらず

・3~4世紀 大和政権地盤固め 四道将軍 ヤマトタケル

・4世紀末~5世紀前半 古墳の分布が変わる 奈良盆地河内国 巨大化 埋葬品も騎馬民族

 何かがあった

・大陸では高句麗が南下政策 ツングース騎馬民族扶余族が朝鮮半島南部に 文化が北九州に入る

・大和は北九州の鉄分かがほしい 九州熊襲征伐  邪馬台国の勢力は大和に侵攻されたか同化した

 300年前後から北九州に前方後円墳が相次いでつくられる

邪馬台国や狗奴国などの残党 未だに残るシャーマニズム 崇神天皇仲哀天皇はたびたび九州征伐

九州征伐平定をもって初めて、古代天皇倭国統一を成し遂げた

だれが

記紀では神功皇后

仲哀天皇は「熊襲などかまうな」という神の神託を無視し死亡  熊襲との戦で戦死

仲哀天皇応神天皇は親子ではない説

 天皇の称号12代オオタラシヒコ  13代ワカタラシヒコ  14代タラシナカツヒコ  タラシ一族

 15代ホムダワケ  17代オオエノイザホワケ  18代タジヒノミハワケ  ワケ一族に   別の王朝になった

 応神・仁徳~武烈で政権が終わった

 古代の天皇即位の儀式が難波で 新たな政権が発祥した証

応神天皇の出生は筑紫 仲哀天皇崩御も筑紫

博多湾一帯に海人安曇氏 応神天皇は安曇氏と関わり

・応神は大和政権からすると一地方豪族 かつての邪馬台国連合の筑紫の王では

応神天皇が北九州をあわせもつ新たな大和政権をたてた 倭国統一 朝鮮半島とも交易を発展

・4世紀後半いったん大和政権に組み込まれた筑紫の王応神天皇が、武内宿禰と手を結び、安曇氏の力をかり、大和へ攻め込んで仲哀天皇の王朝を倒した

秦氏応神天皇のときに大規模に

神功皇后がいて初めて万世一系が保たれる

神功皇后武内宿禰が男女の関係で生まれたのが応神天皇という説も

 神功皇后天皇にすると男系が途絶えることに

 

・狗奴韓国=朝鮮半島南部は倭国の一部との認識

・5世紀半ば~6世紀半ば 大和政権は任那朝鮮半島への貿易拠点を確保

・562年任那消滅 朝鮮半島から撤退

・663年白村江の戦い 任那奪還へ 失敗

 

神の名がつく3人の天皇

・初代神武 まきむくで国をおこす

・10代崇神 国家の骨格をつくる

・15代応神 統一王朝の基礎をつくる

 

白村江の戦いの指示を出した天智天皇 豪族の不満噴出

・672年 壬申の乱天武天皇勝利 藤原不比等と国の混乱を治める手段を

古事記日本書紀の編纂の責任

・日本の単一民族の誇りと自立

天皇家の神格化 万世一系をアピール

 

卑弥呼邪馬台国の存在を隠した理由 中国に貢ぎ物をした 天皇家にとって服従しない国の王 直系先祖でない